昭和22年5月、本間家より土地と建物を無償でお借りし 市民に解放され、本間美術館として 使用されるようになり、市民の後援団体「酒田美術協会」が発足、 全国に先駆けて地方都市の美術活動が始められました。
開館当初は、本間家に伝わる庄内藩酒井家・米沢藩上杉家など 東北諸藩からの拝領品を中心に展示して参りました。特に 雛人形展は広く知られます。 美術館の本館と庭園は、本間家四代光道が文化10年(1813)に 港湾労働者(丁持)の冬期失業対策事業として築造された別荘です。
鳥海山を借景とし、廻遊式庭園は、東屋のそばに鶴が飛んできた ことから、酒井候から「鶴舞園」と名付けられました。 建物は「清遠閣」、茶室は「六明廬」と呼ばれています。
庭石は、北前船で酒田港に運ばれた珍石が多く、灯篭には 小豆島の御影石を使用しています。 藩政時代は庄内藩主や幕府要人を接待し、明治以降は皇族や政府高官、文人墨客を接待する酒田の迎賓館でもあり、 一般市民は容易に入れない場所でありました。
所蔵品には、本間家が代々大名から拝領した品、歴史資料として 価値の高い文書、当主が好んだ茶道の器物など、 重要文化財や重要美術品が多く、また市民の特別寄贈コレクションに佐藤清治氏の陶磁器、丹波恒夫氏の浮世絵版画、斎藤正治氏の油絵、 池田貞三氏の医学書、田中一松氏の田中桐江資料のほか郷土作家の作品が収蔵されています。
また、楽焼き茶碗「本間焼」が制作販売されており、庭園を見ながらこの 茶碗で干菓子のついた抹茶を賞味でます。