なぜ日本に長期熟成酒が育たなかったか

木川屋について お問い合わせ 会員登録 マイページへ
山形の地酒専門店 木川屋 酒田醗酵 みちのく山形のどぶろく 送料
山形の地酒専門店 木川屋 地酒 山居倉庫 初孫・砂潟 菊勇・三十六人衆 上喜元 東北泉 栄光冨士 出羽桜 米鶴 楯の川・楯野川 清泉川 麓井 杉勇 大山 羽前白梅 くどき上手 鯉川 樽平・住吉 松嶺の富士 だだちゃ豆 さくらんぼ お電話でのご注文
FAX注文フォーム
山形の地酒専門店 木川屋 送料 お支払い ご注文方法 初めての方へ 木川屋について お客様の声 カゴの中身
酒田醗酵 みちのく山形のどぶろく
トップページ »  酒用語  »  なぜ日本に長期熟成酒が育たなかったか
なぜ日本に長期熟成酒が育たなかったか
 たしかに日本酒は古酒というか熟成酒がそれほどありません。  いろいろな説がありますが、一番詳しくまとめられているのは  平成7年に長期熟成酒研究会が発行した「古酒神酒」という本だと思います。  今回はこの本から抜粋してなぜ日本に長期熟成酒が育たなかったかを  ご案内してみようと思います。  ───────────────────────────────────   多くの国では長期間熟成された酒を銘酒として大切にし、誇りをもって  愛飲されているのに、なぜ日本では長期熟成酒が育たなかったのでしょう。  その原因は、複雑多岐に渡りますが、分かりやすくするため、  1. 造り手の事情  2. 飲み手の事情  3. 政治体制  4. 味に対する評価  にわけて解析を試みました。  1. 造り手の事情  まず何といっても原料に「米」を使っていることがあげらます。  それは、ワインなどと決定的に違う部分といえます。果物の場合は、  収穫をすれば、必要量に関係無く直ちに全量を酒にし、少なくとも一年間は、  その酒を健全に保たせることが、絶対条件になります。  そのため、貯蔵に強い酒を造る技術、それを健全に保つための貯蔵容器・  貯蔵技術の開発などに努力が払われたであろうことは、容易に想像できます。  一方、穀物の場合は、酒にしてしまうより、そのまま保存するほうが格段に  安全です。必要なときに必要なだけ量だけ造ればよいわけですから、  腐るかもわからない危険を冒してまで造りだめする必要は全くなかったわけです。  まして、主食の貴重な「米」を使う日本の場合、これは非常に重要なことであり、  造った酒は全て飲み尽くされてますから、多分「出来たときが、一番旨いさけ」を  造るための努力がされたものと思われます。  しかし、平安朝の末から鎌倉時代にかけて、交換経済の発達とともに、  「商品としての酒」が現れるに従い、腐りにくく長持ちのする酒の開発が要求  されるようになり、酒造りの技術の発達と「火入れ」技術の発明によって、  先に書いた三年、五年の長期熟成酒の試みも、この頃から始まったものと  思われます。  さらに、江戸時代の中頃には「寒造り」の技術が開発され、ほぼ現在の酒造りの  技術、この頃に確立したとされていますが、「米」が貴重品であったことは  変わらず、火入れの技術はあったといえ、なぜ酒が腐るのか分からない中、  一般的には腐りやすい酒をあえて長期間熟成させるだけの勇気と余裕はとても  なかったと考えるべきでしょう。  2. 飲み手の事情  「古酒が存在するためには、民衆の経済力、とくに町生活の充実とそれを許容  する政治体制が前提となる」  と麻井宇介氏は『比較 ワイン文化考』のなかで言い切られておられますが、  まさにその通りといえます。  今でこそ日本は世界トップクラスの経済力を謳歌していますが、ほんの  四十〜五十年前までは、一般の人は常に貧しく、「ハレの日」以外、ご馳走や  酒をたらふく食べたり飲んだりすることはありませんでした。  そのために、たまに飲む酒は「酔う」ことが一番で、酒がうまい、まずいより  「量」の方が大切であり、割高になる長期熟成酒に関心のある人は、居なくて  あたりまえ、といえるでしょう。 3. 政治体制  日本の酒は、常に時の為政者によって、「醸造の規制」と「税金」の対象に  されてきました。醸造の規制にはいろいろな理由がありますが、その主な  ものは、民衆の奢侈(しゃし・度を過ぎてぜいたくなこと。身分不相応に金を  費やすこと。)を認めない、武家の規律を守らせる、宗教上の禁酒など、  社会的な秩序を保つことを目的としたもの、と主食の米を確保するための  経済的理由のふたつです。  農民の奢侈を戒めるため、大化二年(646年)に初めての「禁酒令」が  出されて以来、「禁酒令」は数え切れないくらい出されましたが、  マフィアの暗躍を許したアメリカの有名な悪法「禁酒法」(1920〜1933)と  同様、ほとんど全てが「ザル」法であったようです。  このように酒をできるだけ造らせないように常に「規制」が行われ、  現実には食べる米にも事欠く生活の中で、酒を長期間貯蔵しようという  発想が生まれなかったのは、当然と言えるでしょう。  また、酒が「商品」として流通し始めた、平安朝から鎌倉期にかけて酒屋の  保護や酒造の許可の代償として「酒屋公事」「酒役」「酒麹役」などの  名目で、酒の現物や税金、労役などが掛けられて以来、現在に至るまで、  酒には必ず税金が掛けられてきました。特に明治時代から昭和十八年までは  「造石税」(ぞうこくぜい)と称して酒の販売に関係なく、  酒税で日清・日露戦争を戦ったと、いわれるくらい過酷な税金が造石高に  対し掛けられました。  その当時はまだ、なぜ酒が腐るのかの原因は分からないまま、木の桶や  藁(わら)の筵(むしろ)など、今では想像も出来ないくらい悪い環境の中で  酒は造られ、貯蔵されていました。一本でも腐り始めると次々に伝染し、  蔵中の酒が腐ってしまうのも珍しいことではなく、酒は売り物にならず、  税金は取られる、という二重のダメージのために倒産する酒蔵は  たくさんあったとのことです。  このような厳しい環境の中で、いつ腐るか分からない酒を、危険を  冒してまで長期間熟成させてようという発想が浮かび上がるでしょうか。  戦後になって、蔵元を苦しめたこの「造石税」は廃止され、  「蔵出し税」が採用されるようになりましたが、製造数量の制限、価格の  統制、級別制度の導入など、平成四年に級別制度が廃止されるまで国の  規制は、さまざまな形で続き、長期熟成酒を造れる環境にはなかなか  なりにくかったと言えます。  4. 味に対する評価  従来はどういう訳か、清酒の色・香り・味を表現するとき「ほめる言葉」は  非常に少なく、「けなす言葉」はたくさんあります。  きき猪口に清酒を注いだとき、少し色があるだけで、その酒は「色がある」  と欠点の烙印を押されます。香りをかいだときに熟成香があると  「老(ひ)ねている」と、口に含んだときに味に特徴があると「クセがある」  などといって、いずれもマイナスの評価にしてしまいます。  欠点(誰が欠点と決めた?)をどんどん削ってきたために、全国の酒は全て、  色はなく、淡麗で、フレッシュで、フルーティな酒になってしまいました  (もちろん原料の差、技術力の差による「品質」の差はありますが、目指す  ところは同じという意味で)。  この流れの中では、色があり、味・香りの個性の強い長期熟成酒は、頭から  お話にならない酒とされてきたきらいがありました。  長期熟成酒の可能性  先の項目で、日本になぜ長期熟成酒が育たなかったかを検証しました。  しかし、この数年間の政治・経済・社会の変化は、かつて経験したことが  ないほど激しいもので、全ての価値観は大きく変わり、長期熟成酒の出現を  阻んできた条件は取り除かれたと言えます。  「米」が大切な主食であることに変わりはありませんが、今、清酒造りには  「量・質」とも、充分すぎるほどの米の供給を受けられるようになりました。  そして飲み手側の一般大衆の経済力は飛躍的に向上し、豊かな生活は単に  「酔う」ために飲まれていた酒を「生活を豊かにする、楽しくする」  パートナーに変えようとしています。  級別制度の廃止は、より「多様な商品開発」を促し、消費者からは  「個性のハッキリした清酒」を求められるようになってきました。  このように、時代の変化は長期熟成酒の出現の機会を作ったというよりも、  長期熟成酒の出現を促し、世界の酒にも通じるその可能性の大きさに注目し、  熱い期待を掛けているといっても過言ではないでしょう。  ──────────────────────────────────  ということでいかがでしたでしょうか?  「酒税で戦争した」は本当に過言ではありません。現在は様々な種類の  税があり、酒税の税全体に占める割合は少なくなりつつありますが、  当時はかなりを占めていました。  当時の税収に占める酒税の割合は3割近くもあり昭和初期まで酒税が  最も大きな税収減でした。  現在でも酒税を含んだ金額を含んだ商品代金に対して消費税をかける  つまり、酒税にさらに税金をかける二重課税が行われています。  メディアではあまり取り上げられませんが、ガソリンもタバコも他にも  このような二重課税はたくさんあります。  話はそれてしまいましたが(^^;)  現在のように貯蔵設備も、そして知識も技術もなかった時代は、お酒を  腐らせずにきちんと醸造することが大事でした。  上記のとおり造石税ですから、お酒ができさえすれば税金を徴収できる  からなんですね。  ということで、酒造りの技術向上、腐造を防ぐためにお酒の醸造の研究  機関が国によって作られるわけですが、それは国税局、つまり大蔵省  管轄なのはそういう理由になります。  現在は広島県の西条に酒類総合研究所がありますが、その前身の  国立醸造試験所は東京の滝野川にありました。  ちなみに皆様に販売したお酒に関しては当店のような小売の場合は  蔵元から仕入れた時点で酒税を納めるかたちになります。  つまりお酒が売れるまでは小売店が酒税を立て替えているようなかたちに  なりますので(^^;)、酒販店レベルでお酒を熟成させようというのも  少ないのかもしれませんね。