出羽桜 山形工場 造り研修 1日目

木川屋商店の高橋 修一です。
ご覧頂きありがとうございます。

今回は久しぶりに出羽桜山形工場へ酒造りの研修に行ってまいりました。

1995年に会社を辞めて、酒田に帰り、酒のことを何もわからない状態で仕事を始め、20年前の1996年、一番最初に勉強のために向かった蔵が出羽桜 山形工場でした。

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最初の年は山形弁(私の住んでいる庄内地方とは同じ県でも言葉が違います)がよくわからなくて「◯◯持って来い!」と言われても、全く違うものを持ってきてしまったり、休憩中に話が盛り上がっていてもなんだかわからず、笑いながら相槌をひたすら打ったりという状況でした。


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しかし少しずつ言葉にも慣れてくると年齢が近い蔵人も多く、酒の話だけでなく趣味の話などでも意気投合したり、自分の父と同じくらいの年齢の方達にもかわいがっていただきました。

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泊まりこんで蔵人との酒飲み(飲み過ぎて私だけ夜中に起きれなかったこともあり ^^;)をしたり、一緒に作業をしながら、酒造りのことを一から教えて頂きました。

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夜は眠かったのですが、一日の作業を記録してリアルタイムでメールマガジンでお客様にお伝えしました。

当時はプロバイダーも少なく、PowerBook 520(68LC040ですね)を持って行き、山形工場の事務所の電話回線を借りて14.4kbpsくらいのモデムでダイアルアップでつないでいました。

1996年から3年続けて研修に行きました。出羽桜山形工場ではそれ以前から他県の蔵元の後継者や販売店、ホーロータンクのメーカーまで研修という名目で受け入れをしています。

長い方は数年間蔵元で造りや製品、そして営業まで、出羽桜の酒造りの何もかもを経験することができるのです。

今回は研修生として、茨城県の霧筑波の息子さんと群馬県の利根錦の息子さん(お二人とも20代前半)が作業されていました。
他県の同業者に手の内を明かす、それが数社ではなく何十年にも渡って何十社も当たり前のように続けている、懐の深い蔵元だなと思います。

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実は出羽桜自身も、長野の眞澄にたいへんお世話になり、造りを教えて頂いた経緯があるそうです。現社長の仲野益美社長の名前の「ますみ」は長野の眞澄から由来しています。

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20年前、一緒に作業をした杜氏は引退されています。あのときに一緒に作業をした蔵人も定年で退職された方が多く、年配の方で私と一緒に作業をされた方はお一人だけになっていました。

その方は今は造りの頭(かしら)になられていました。そして若い造り手だった私と同じくらいの年齢の方は杜氏になっていました。

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造りの現場は厳しく、朝早く、夜の作業もあり、昔はもっとたいへんだったわけですが、機械化されている部分も限られていてキツイ重労働です。

あれを5日も毎日泊まりで蔵から一歩も出ず、運動不足の私がよくやったなぁと今になって思います。当時26歳、若かったんですね。(蔵の方は何ヶ月もそれを続けるわけですが ^^;)

時間の流れを感じることも多かったですが、あの時と変わらない蒸し米の香り、麹の香り、そして蔵の空気をたくさん吸ってきました。

「少しでも良い物を」ものづくりの現場に共通する思いを、飲み手のみなさんに伝えていき、また飲み手の意見を造り手に伝えるのが私達小売店の仕事。

いろいろ新しい発見もありましたが、一番の収穫は初心に帰ることができたことだったかもしれません。
このブログでは過去の研修の様子を掲載しております。お時間ある方は覗いて下さい。

>> 2008 出羽桜 山形工場訪問
>> 2007 出羽桜 山形工場訪問
>> 1998 出羽桜研修

>> 1997 出羽桜研修
>> 1996 出羽桜研修
>> 1996 出羽桜研修画像
>> 1996 出羽桜天童本社蔵見学

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