蔵見学は基本的にお断りしています。以前はお受けした時期もありましたが、 あっちを受け、こっちを断ると依怙贔屓になってしまうので全部止めました。
酒造りへの集中力が途切れるし、まして今の時期は大吟もあり、全員がピリ ピリしているからですが、木川屋さんには昨年もお断りしているし、2年続
けて断るのも…ということと、取り扱いを10百万くらいにして貰えればいい かと今回お引き受けしました。
#10百万は冗談混じりのお話でしたが、修一さんは… ただただ苦笑。(^^;
現在の取引先は県内外で350店ほど。一店当たり1百万の取引、350~400百万 くらいの売上を目論んでいます。
それで得た利益で設備や労務対策などの好
環境を整備するのに回していきたいと。 以前はロマンだとか、こだわりといったものに固執したこともありましたが、 この規模になるとそれだけでは済まされなくなるのです。
酒造りのために当たり前のことをやっているだけなので、それをこだわりと は云いたくありません。
1300石の出荷ですが、その内60%が小瓶類(720ml、300mlなど)なので出荷 本数にすると35万本(平均容量670ml。小瓶比率が高い)ほどです。
今でこそ「くどき上手」として知られるようになりましたたが、15年くらい 前までは自社売り230石。残りの80%は未納税移出、俗に言う桶売りでした。
その桶売り先から「要らない」と言われたときが転機でした。 も
ともと昭和17年に社長が戦争に出るときに廃業し、昭和30年にやっと復活
したという経緯もあって、当時で12百万の補償をもらって廃業しようかとも 考えましたが、私の祖父に「二度も蔵が消えるようなことはしないでくれ」
と言われて思いとどまり、自社ブランドでの再生を目指したのです。
人真似では駄目だと缶ビールがようやく普及しはじめ、冷蔵庫で冷やすこと が珍しかった昭和57-8年頃、吟醸生を製品化しました。
目立つようラベルに
私が好きだった浮世絵、しかも春画を使い、女房が名付けた「くどき上手」 として出したのですが、地元では全然売れませんでした。
鶴岡の老舗寿司屋(名前失念)が扱ってくれましたが、家族連れできてもら
える店が売りなのにその品位を汚すと反対されまして、今のものになった次 第です。
#春画のラベルが残ってたら、貰ってくるべきだった。(--;;
県外へは、場所柄モリ・ハナエ、コシノ・ジュンコや芸能人が集まる南青山 のお店につてを頼って入れて貰えるようになり、「私の行きつけの店」とし
て雑誌等に紹介された際に写真が出たことから注目されるようになったのと、 昭和60-1年頃、西武百貨店が展開した有楽町・池袋・渋谷の酒蔵に入ること
ができ、そこで買われた各地の酒屋さんから取り引きして欲しいとの声が来 るようになり、上昇気流に乗りました。
4~500石くらいが一番ロマンを感じられましたし、楽しい酒造りでしたが、 今はそんなこと言ってられません。10年の間に設備を一新させましたから、
借入も膨大ですし、経営するという感覚がなければ成り立ちません。
今のところ、能力的にも石数を増やす考えはありません。それでいて利益は 必要ですから、4~5年内に50%純米を製品のボトムラインにしたいと考えて
います。
地元向けの55%の精撰はその時点で廃版ですね。 ここ暫くは先の設備投資を回収し、借入が半減した頃、次の方向性を探して みたいと思っています。
「亀仙人」という商標も登録してありますので、これを古酒に使ってみよう かと考えたりしています。
私も毎年肉体的にきつくなっています。それにどこの杜氏さん達の組合も、 1/3は優秀、1/3は将来性を買える、残りの1/3は駄目な人なんです。今後を
考えると杜氏に頼らない酒造りを模索しなければなりません。